先日、日本では未承認の新しい鎮痛薬 JOURNAVX®(一般名:Suzetrigine/スゼトリジン) が日本で取り扱われた、と目にしました。
麻酔科医としては、μ受容体を介さないならば呼吸抑制も起こさないし、NaV1.8を標的とする新しい非オピオイド鎮痛薬としてとても興味深い薬だと思っています。
今日は、この薬について論じたいのではなく、「麻酔科医は新しい薬に出会ったとき、何を考えるのか。」その視点について書いてみたいと思います。
Suzetrigineとはどのような薬か
Suzetrigineは、末梢の侵害受容ニューロンに発現する NaV1.8電位依存性ナトリウムチャネル を選択的に阻害する薬剤です。NaV1.8は痛みの信号伝達に関与しており、Suzetrigineはそのチャネルを阻害することで末梢神経からの痛みの伝達を抑えると考えられています。
薬理学的研究では、SuzetrigineはNaV1.8に対して高い選択性を示し、他のNaVサブタイプに比べて非常に選択的に作用することが報告されています。
痛みの信号は、神経という電線を通って脳に伝わります。この電線には、信号を通すための「関所」のような扉(ナトリウムチャネル)がいくつも並んでいて、NaV1.8はその中でも「痛みの信号だけが通る扉」です。

Suzetrigineは、この扉にぴったり合う鍵のような薬で、NaV1.8という扉だけを選んで閉じます。他の扉(呼吸や心臓のリズムに関わるチャネルなど)には合わない鍵なので、開けたままにしておける。それが「選択的」という意味です。
オピオイドのように中枢のμ受容体を介して作用する薬ではないため、呼吸抑制、鎮静、依存形成といったオピオイド特有の副作用を回避できる可能性が期待されています。2025年1月、米国FDAで成人の中等度から高度の急性疼痛に対して承認されました。
確かに、とても興味深い薬です。
現時点での臨床的位置づけ
現時点でのエビデンスの中心は、急性術後疼痛です。Phase II・III試験では、腹部形成術や外反母趾手術後の疼痛に対して、プラセボより有意な鎮痛効果が示されています。有効性の比較については、報告によって評価に幅があります。
あるレビューでは、プラセボと比較して有意な鎮痛効果を示し、標準的なヒドロコドン/アセトアミノフェン併用療法と同程度の有効性が報告されている一方、別のレビューでは、この文脈においてヒドロコドン/アセトアミノフェンよりもやや効果が弱いとも指摘されています。有害事象や消化器症状については、比較的少ない傾向が複数の報告で一致しています。
つまり、現時点のエビデンスを一言で「オピオイドと同等」と言い切ることは難しく、試験デザインや対象、評価方法によって結果に幅があることを踏まえて解釈する必要があります。
一方で、すべての術後疼痛をこの薬単剤で十分に制御できると考えるのは早計です。別のレビューでは、現在の研究は主に短期間使用に限られており、より重度の術後疼痛や慢性疼痛における有効性・安全性については、今後の検討が必要とされています。
つまり、Suzetrigineは、オピオイドを完全に置き換える薬というより、現時点ではマルチモーダル鎮痛の中で、オピオイドを減らす可能性のある新しい選択肢として考えるのが、最も慎重で現実的な位置づけだと私は考えます。
麻酔科医が最初に考えることは少し違います
私が麻酔科医になった約20年前から既に、麻酔科学では Multimodal Analgesia(マルチモーダル鎮痛) という考え方が基本でした。
デンマークの麻酔科医・外科医である Henrik Kehlet と Jørgen B. Dahl が1993年に発表した総説が、この概念の原点とされています。
一つの薬で痛みを取るのではありません。アセトアミノフェン、NSAIDs、局所麻酔薬、必要に応じたオピオイド、補助鎮痛薬。それぞれ作用機序の異なる薬剤を組み合わせます。さらに、施術方法、冷却、患者背景まで含めて、安全域を保ちながら痛みを減らす。それが麻酔科医の考える鎮痛です。
「先制鎮痛」という考え方があります
麻酔科には、先制鎮痛(preemptive analgesia) という考え方があります。手術切開などの侵害刺激が加わる前から鎮痛を開始し、末梢および中枢神経系の感作、特に 中枢感作(central sensitization) をできるだけ防ぐことで、術後疼痛を軽減しようという概念です。
現在ではさらに、術前だけではなく、術中、術後まで含めて鎮痛を設計する 予防的鎮痛(preventive analgesia) という考え方へ発展しています。
ここで重要なのは、この考え方に立てば、特定の一剤だけが重要なのではないということです。アセトアミノフェンも、NSAIDsも、局所麻酔も、必要に応じたオピオイドも、そして将来的にはSuzetrigineのような新しい薬も、すべてが鎮痛戦略を構成する一つのピースになります。
だから麻酔科医は「どの薬が一番優れているか」ではなく、「患者さんに合わせて、どの薬を、どのタイミングで、どのように組み合わせるのが最も安全で効果的か」を考えます。
新しい薬が登場しても、「この薬があるから他はいらない」とはなりません。まず考えるのは、既存のマルチモーダル鎮痛の中でこの薬をどう位置づけるか。そこです。
麻酔科医は「何も起こさないこと」が仕事です
麻酔科医の仕事は、何か起きたら助けることではありません。何も起こさないこと。それが最大の目標です。
だから術前診察では、歯がぐらついていないかを実際に触って確認することもあります。麻酔導入後に歯が脱落すれば、気道トラブルにつながる可能性があるからです。口はどれくらい開くのか。首は十分動くのか。患者さんが起きている状態で確認します。
麻酔導入後には、覚醒時には予測できなかった気道確保困難が明らかになることがあります。喘息は。睡眠時無呼吸症候群は。内服薬は。アレルギー歴は。検査値は。一つひとつ確認する理由は、合併症を予測し、未然に防ぐためです。
だから新しい薬に出会った時も、最初に考えるのは「効くのか」だけではありません。何が起こる可能性があるのか。もし起きたら、自分たちは対応できるのか。そこまで考えて初めて、患者さんへ提供できる医療になります。
「効くか」だけでは採用しません
薬を採用するということは、効けば終わりではありません。もしアナフィラキシーが起きたら。救急カートは。アドレナリンは。スタッフ教育は。薬物相互作用は。禁忌は。肝機能は。腎機能は。
Suzetrigineについても、CYP3Aを介した薬物相互作用や、長期データの不足は慎重に見る必要があります。強力なCYP3A阻害薬との併用やグレープフルーツ摂取は禁忌とされており、レビューでもCYP3A関連の相互作用や長期データの限界が指摘されています。
美容医療では見落とされがちですが、薬剤を採用するということは、副作用への備えまで含めて採用することです。これはごく当たり前の考え方です。
海外で承認された薬が、日本でそのまま承認されるとは限りません
医薬品開発の歴史を振り返ると、海外で承認され、高く評価された薬であっても、日本では追加試験が求められたり、承認に至らなかったり、あるいは承認までに長い時間を要した薬は少なくありません。
その理由は、民族差や遺伝子多型、薬物代謝の違い、医療環境の違いなどにより、日本人での有効性と安全性を慎重に評価する必要があるからです。
また、新薬には市販後になって初めて明らかになる副作用もあります。治験は安全性を評価するために行われますが、対象人数には限界があり、稀な副作用や、長期間使用した場合の影響までは十分に分からないことがあります。
これはJOURNAVXが危険だと言いたいのではありません。どんな新薬にも、市販後になって初めて分かることがある。だから慎重に評価する。それが医療です。
日本ではまだ未承認です
JOURNAVXは、現時点(2026年7月)では日本では未承認です。日本人を対象とした承認審査も行われていません。もちろん、未承認薬を自由診療で使用すること自体が違法というわけではありません。
しかし、日本人で十分な安全性データがない以上、患者さんへの説明責任はより重くなります。特に美容医療は、緊急性のある治療ではありません。だからこそ、「使えるか」ではなく、「その患者さんに、今、本当に使う必要があるのか」を慎重に考える必要があります。
期待と慎重さは、矛盾しません
Suzetrigineは、非常に興味深い薬です。NaV1.8を選択的に阻害するという作用機序は新しく、急性疼痛における非オピオイド鎮痛薬としての意義もあります。一方で、現在のエビデンスは主に急性疼痛、しかも短期間使用を中心としたものです。
慢性疼痛、長期安全性、特殊集団、併用療法下での最適な位置づけは、今後の検討課題です。期待できる薬であることと、慎重に評価すること。この二つは矛盾しません。むしろ、期待される薬だからこそ、どの患者さんに、どの場面で、どのように使うべきかを丁寧に考える必要があります。
実は、これは薬だけの話ではありません
新しい機器が発売された時も、私は同じことを考えます。「最新だから」「海外で流行っているから」「SNSで話題だから」。それだけでは導入しません。
エビデンスは。適応は。合併症は。万が一の対応は。自分たちが安全に使いこなせるか。そこまで含めて初めて、導入する価値があるかを考えます。
私が大切にしたいこと
美容医療は、痛みが少ないことも大切です。でも、それ以上に大切なのは、安全であること。その安全は、一つの新しい薬や、一台の新しい機器が作るものではありません。
薬剤選択。麻酔。手技。機器設定。緊急時対応。スタッフ教育。その一つひとつの積み重ねによって作られます。
私はJOURNAVXを否定したいのではありません。新しい薬には、大きな可能性があります。
ただ、新しい薬だから良い薬なのではない。新しい機器だから優れた機器なのでもない。麻酔科医は「どの薬が一番優れているか」ではなく、「患者さんにとって最も安全な周術期をどう設計するか」を考えます。
それが、約20年麻酔科医として仕事を続けてきて、今も変わらない私の考え方です。
最後になりますが、これは私個人の見解です。
よくあるご質問(FAQ)
Q. スゼトリジン(JOURNAVX®)とはどのような薬ですか?
末梢の侵害受容ニューロンに発現するNaV1.8電位依存性ナトリウムチャネルを選択的に阻害する非オピオイド鎮痛薬です。中枢のμ受容体を介さないため、呼吸抑制・鎮静・依存形成といったオピオイド特有の副作用を回避できる可能性が期待されています。2025年1月に米国FDAで成人の中等度から高度の急性疼痛に対して承認されました。
Q. JOURNAVX®は日本で使えますか?
JOURNAVXは現時点(2026年7月)で日本では未承認であり、日本人を対象とした承認審査も行われていません。未承認薬を自由診療で使用すること自体が違法というわけではありませんが、日本人での十分な安全性データがない以上、患者様への説明責任はより重くなります。特に美容医療は緊急性のある治療ではないため、「使えるか」ではなく「その患者様に、今、本当に使う必要があるのか」を慎重に考える必要があります。
Q. マルチモーダル鎮痛とは何ですか?
一つの薬で痛みを取るのではなく、アセトアミノフェン、NSAIDs、局所麻酔薬、必要に応じたオピオイド、補助鎮痛薬など、作用機序の異なる薬剤を組み合わせる鎮痛の考え方です。1993年にHenrik KehletとJørgen B. Dahlが発表した総説が原点とされています。さらに施術方法・冷却・患者背景まで含めて、安全域を保ちながら痛みを減らします。
Q. 新しい薬や機器を導入するとき、何を基準に判断していますか?
「効くか」だけでは採用しません。エビデンス、適応、合併症、薬物相互作用、禁忌、肝機能・腎機能への影響、そして万が一の際に自分たちが対応できるかまで含めて検討します。「最新だから」「海外で流行っているから」「SNSで話題だから」という理由だけでは導入しません。薬剤を採用するということは、副作用への備えまで含めて採用することです。
参考文献
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■ 執筆者・監修者プロフィール
中野 陽子(アートラウンジクリニック院長 / 麻酔科専門医・麻酔科指導医)
【略歴・学術実績】
・2007年: 獨協医科大学医学部 卒業。在学中、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)へ留学。
・2009年〜: 沖縄県立北部病院、岩手医科大学などで麻酔科学を深く研鑽。
・2016年: 日本麻酔科学会誌『麻酔』にて、小児の高度な気道管理に関する論文を筆頭著者として発表。
・2022年: 大手美容クリニックを経て、アートラウンジクリニック院長に就任。
・2025年〜: 現在も大学病院 麻酔科非常勤医師を兼務。
最前線の麻酔科医としての豊富な臨床・学術経験(小児麻酔などの高度な気道・安全管理含む)を活かし、美しさと安全性を高いレベルで両立する美容医療を提供しています。